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執筆者の写真Tomoe Takizawa

"花をみる心は美しい" A Beautiful Mind

"自分は草木の精かもしれない"、そう言う 植物学者 牧野富太郎さんのエッセイ集です。


その在り方、植物への愛と感謝の心、大好きです。


『好きを生きる -天真らんまんに壁を乗り越えて-』牧野富太郎(興陽館)


『好きを生きる -天真らんまんに壁を乗り越えて-』より、一部ご紹介させていただきます。


花をみる心は美しい

 私は草木に愛を持つことによって人間愛を養うことができ得ると確信して疑わぬのである。もしも私が日蓮ほどの偉物であったなら、きっと私は草木を本尊とする宗教を樹立して見せることができると思っている。私はいま草木を無駄に枯らすことをようしなくなった。また私は蟻一疋でも虫などを無駄に殺すことをようしなくなった。この慈悲的の心、すなわちその思い遣りの心を私は何で養い得たか。私は我が愛する草木でこれを培うた。また私は草木の栄枯盛衰を観て人生なるものを解し得たと自信している。これほどまでも草木は人間の心事に役立つものであるのに、なぜ世人はこの至宝にあまり関心を払わないであろう?私はこれを俗に言う「食わず嫌い」に帰したい。私は広く四方八方の世人に向うて、まあウソと思って一度味わってみてくださいと絶叫したい。私は決して戯言は吐かぬ。どうかまずその肉の一臠を嘗めてみてください。


 

 みなの人に思い遣りの心があれば、世の中は実に美しいことであろう。相互に喧嘩も起こらねば国と国との戦争も起こるまい。この思い遣りの心、むつかしく言えば博愛心、慈悲心、相愛心があれば世の中は必ずや静謐で、その人々は確かに無情の幸福に浴せんことゆめゆめ疑いあるべからず。世のいろいろの宗教はいろいろの道をたどりてこれを余人に説いているが、それを私は敢えて理屈を言わずにただ感情に訴えて、これを草木で養いたいというのが私の宗教心であり、また私の理想である。私は諸処の講演に臨む時は機会あるごとに、いつもこの主意で学生等に訓話している。


 われらが花を見るのは、植物学者以外は、この花の真目的を嘆美するのではなくて、多くは、ただその表面に表れている美を賞観して楽しんでいるにすぎない。花に言わすれば、誠に迷惑至極と歎つであろう。花のために、一掬の涙があってもよいではないか。



植物は人生で大切なもの

 植物と人生、これはなかなかの大問題で、単なる一篇の短文ではその意を尽くすべくもない。堂々数百頁の書物が作り上げらるべきはその事項が多岐多量でかつ重要なのである。

 ところがここには右のような竜頭的な大きなものは今にわかに書くこともできないので、ほんの蛇尾的な少しのことを書いてみる。世界に人間ばかりあって植物が一つもなかったならば「植物と人生」というような問題は起こりっこがない。ところがそこに植物があるので、ここにはじめてこの問題が擡起する。

 人間は生きているから食物を摂らねばならぬ。人間は裸だから衣物を着けねばならぬ。人間は風雨を防ぎ寒暑を凌がねばならぬから家を建てねばならぬので、そこではじめて人間と植物との間に交渉があらねばならぬ必要が生じてくる。

 右のように植物と人生とは実に離すことのできぬ密接な関係に置かれてある。人間は四囲の植物を征服していると言うだろうが、またこれと反対に植物は人間を征服しているといえる。そこで面白いことは、植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが人間は植物がなくては生活のできぬことである。そうすると植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向うてオジキをせねばならぬ立場にある。衣食住は人間の必要欠くべからざるものだが、その人間の要求を満足させてくれるものは植物である。人間は植物を神様だと尊崇し、礼拝し、それに感謝の真心を捧ぐべきである。(後略)



自然が教えてくれたこと

 私はこういうことがあります。植物を採集してくるといろいろの虫がそれに附いてくる。それを腊葉にする時に一匹の蟻でもみな追い払わぬと、その虫を殺すと言うことはできないようになってきた。小さい虫がくっついているのを縁側の外に捨てる。殺しはしない。そんな時に私はよく蟻のことを思う。この蟻は何里も離れてここへきて放たれるが、この先どうなるかと思う。他の蟻の社会の中へ入っていけばどういうように排斥されるだろうかと心配する。こういう心を養ったのは難しい書物によらず、自然を愛すると言うことからいためてはいけないという結果、ひとりでにそうなった。何十年もの間植物を愛した結果から自然に養われたのです。私は自分の経験からこの草花植物をみなさんにどうか愛してくださるようにお願いする。専門家になれというのではない。植物を憎むことは少しもないという証拠にはどんな家でも植物が庭に植えてある。どんな人でも植物は好きだろうと思う。植物はどんな人にでも愛せられる素質を持っているわけです。これを愛好することは費用が多く要るというわけでもない。情操教育上からも植物を愛するようにお奨めします。動物を採集すると殺さねばならぬが、私はあの苦痛を察してやると到底殺す気にはなれない。植物は動物と違って愛好するに都合のよいものであるからあなた方にもそれをお願いするのです。



牧野博士の言葉に、ウイリアム・ブレイクの詩を思い出しました。


花をみる美しい心は、万国共通です。


`Auguries of Innocence'

'無垢の予兆'

To see a World in a grain of sand,

And a Heaven in a wild flower,

Hold Infinity in the palm of your hand,

And Eternity in an hour.' - William Blake


ひと粒の砂のなかに世界があり

野に咲く花のなかに天国がある

君の手のなかに無限があり

ひとときのなかに永遠がある(私訳)

- ウィリアム・ブレイク



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出典: 『好きを生きる -天真らんまんに壁を乗り越えて-』牧野富太郎(興陽館)

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